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Nが驚いて視線を移すと、Sはこぶしで涙をぬぐっている。
(「HSの真実」)それでもまだHの社長であることは間違いない。
しかしS氏は、H氏(当時副社長)の牛耳る本社には通わなかった。
相変わらず下落合の自宅からまっすぐ和光の研究所に向った。
S氏には居場所はなかったのである。
H氏は、はじめからS氏の勇退の段取りがすめば、自分もHを去るつもりでいたろう。
S氏が研究所社長を辞任してから2年が経過した頃、N氏を再びS氏のもとにやった。
自分の決意を伝えるためである。
N氏は淡々と伝えた。
「H副社長が、お辞めになります。
社長にお伝えするようにということでしたので」S氏には、このとき既にH氏の出方は読めていたのではないか。
淡々とした口ぶりでこう言っ「なら、オレも辞めると言っておいてくれ」N氏には、Hを創った2人の創業者の胸中はよく理解できていたのだろう。
「わかりました」とだけ答えたきり無言で頭をたれたという。
こうしてHS氏は、H氏とともに、創業妬周年にあたる1973年に引退した。
日本の経営者としては若すぎる年齢である。
世間は唖然としたが、やがて潔い引退として賞賛した。
Sの創業者であるI氏やM氏が、実質的に「生涯現役」の立場を貫いたのと対照的であった。
後継者の時代の躍進。
創業者自身が手足を動かしていた時代は会社の基礎づくりの時代である。
知名度はあがるが、意外に経営規模は拡大するものではない。
一から企業を興した人は、会社の体制を作るのに多大な労力と時間を注ぎ込まねばならないのである。
飛躍的な発展を見せるのは、むしろ創業者が第一線を退き、創業期から労苦を共にしてきた直弟子とも言うべき人に、社長の座を譲ってからである。
第一線を退いたとはいえ創業者は後ろ楯となって社内の求心力を後継社長に集中させることができる。
後継者の経営手法も判断の仕方も「創業者譲り」のままであり企業文化に混乱もなく、会社の基礎は既に築かれている。
妬歳の若さでK喜好氏がS氏のあとを継いだHがそうであり、それより遅れるが馳歳でS社長となったO氏の時代がそうであった。
K氏はn年、O氏は必年もの長期政権を担ったが、この間に、HもSも、売上を4倍以上に拡大させている。
押しも押されもしない日本を代表する大企業への飛躍であった。
ただし、ここで注意しなければならないことがある。
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